桂三四郎ブログ 落語家 桂三四郎の挑戦

落語家 桂三四郎が何かしら発信するブログ。

品性下劣な品性の見分け方〜桂三四郎の足跡

三四郎の持論の中に

『その人間の品格は、下ネタ(Hな話)をした時にわかる』

というものがある…。

というか今作った…。

というのも前に、何人かと飲む機会があって
なんとなく、そんな話になって気づいたんやけど

その時の、メンバーはなんか上品な人間の集まりだったためか

性的な話が、ぜんぜん下品に聞こえなかった。

やっぱり上品な人の下ネタは、たとえ下ネタでも上品なのだ

一番、下品であるはずの話が上品に聞こえるなんて

普段の会話は他の人にはよっぽど上品に聞こえてるんやろな。


でも、世の中には逆になんかこの人が性的な話したら、生々しくて気持ち悪くて聞いてられへんな

って人もいる。

おんなじ事話してるのに、聞く側の感じかたがぜんぜんちがうねん。

僕は、そこに人間の品格が出るんだと考える。

内容を文章にすると、ものすごく下品な話しやけど

そこが、生々しくなるのか、上品になるのかは

それまで生きてきた人生がうつしだされていくものなのかもしれない。

下ネタは人生をうつす鏡…。

めっちゃいやな鏡やな。

まあとにかく、上品に生きてきた人は何でも上品に見えるし

下品な人は何でも下品に見える。



だからって上品な人のウ○コは、上品か?って聞かれたらそうではない

上品でも下品でもウ○コはウ○コです。

でも、お尻の拭きかたは上品です。



いや、見たことはないけど…。



いま、無理矢理きたない例えをほりこんでみたけど


この例えを見て、生々しくて気持ち悪いと皆さんが感じたら

 

三四郎はめちゃくちゃ下品です。


話はもどるけど

下ネタは人生をうつす鏡

これって落語にも置き換えれるんとちがうかなっておもう。

だって古典落語はテキストほぼ一緒でしょ?

でも人によって落語のうけかたなんてぜんぜん違うんだよ

ということは

下ネタが上品な人は、上品な落語するし

可愛らしい人は可愛らしい落語するし

ようできた下ネタやな〜って人はようできた落語するし

達者な人は達者な下ネタするし

だから、図式としては

下ネタ=人生(品格)=落語

ってこと?

じゃあ

下ネタ=落語?



落語って下ネタかい


あかん、こんなこと書いてたら、いつかめっちゃ怒られるよ

ほんとは、ここから


落語家のHはきっと落語に出るぜ


って感じに書きたかったけど



これ以上書いたら、ぼくの品格が疑われるのでやめときます。


2011年4月21日桂三四郎のブログより