桂三四郎ブログ 落語家 桂三四郎の挑戦

落語家 桂三四郎が何かしら発信するブログ。

今はどんなことでもいいから芸人は発信し続けなければいけない。

久しぶりのブログ更新やぁ〜。

 

「喋りが上手くなるブログ」を一区切りさせたら、なんだか次に書くことを何にしようか考えてしまってなかなか手が進まなかったのだけど

 

「何も書いていない」という状態だけは嫌なのでとにかく再開する。

 

このブログの基本に戻るけど今の時代の芸人は

 

「常に何かを発信し続けなければいけない」

 

今は素人さんでもブログ、ツイッター、youtubeいろんなツールを使って発信することができる。

 

もうすでに今の時代「素人さん」という人はいないんじゃないかな。

 

だれでも、今から配信者、発信者になれるので

 

誰しもがクリエイターであり、表現者である。

 

誰でも好きな時に好きな事を世界中に発信できる世の中で僕たち芸人に残された最後の聖域が

 

「舞台」である。

 

舞台でお金を払ってくださったお客様に向けて芸を披露するということはかなりハードルが高く誰でもできるわけでない上に

 

舞台に出る権利もなかなか得られない

 

いや、自分で会場借りてチラシ作ってお客さん集めればできるのだけど

 

人間、お金を払って足を運んで時間の拘束をうけるとなると途端に来てくれなくなるもので

 

プロの芸人でもお客様集めには苦労する。

 

昔は娯楽が少なかったので寄席や演芸場には何もしなくてもお客様が詰めかけた時代があったらしい

 

芸人が少なかった時代は、大阪の噺家も何かしらメディアの仕事をもっていたそうだ

 

今はお笑いブームの影響もあって芸人は落語家も漫才師も飽和状態

 

いっとき一世風靡した芸人すらご飯が食べられなくなるほど厳しくなっている。

 

落語家はまだフットワークの軽さ(プロダクションを通さないで交渉できる)とコストパフォーマンスの良さ(経費が芸人のギャラ以外あまりかからない上、一人で長い時間持たせられる)ことで商売として成り立ちやすい

 

ただ、その落語家の中でも取捨選択はかなりされていて

 

「誰でもいいから落語家さん誰か呼んでくれへんかな〜」

 

という仕事はどんどん少なくなってきている。

 

寄席にも

 

「とりあえず落語観に行こかー」

 

という人は少なくなってくると思う。

 

だから「いい落語をする」という当たり前の努力に加え

 

「どうやって選ばれるか」

 

という努力をしなければいけない。

 

選ばれる一番大きい要因はその人を知っているかどうかだ。

 

知らない人の独演会に飛び込みで入る人はほぼいないだろう。

 

知ってもらうためには、存在をアピールし続けないといけない。

 

テレビなんかのマスメディアに出れればこんな簡単な事はないけど

 

このハードルはなかなか高い

 

ただ今の時代はありがたいことにネットで誰でも発信できる。

 

毎日何かしら配信することで、誰かの目にとまる。

 

その誰かが気に入ってくれる

 

イベントをやるときに「じゃあ、一度見に行ってみよう」ということになって

 

行ったら内容が素晴らしくて好きになって

 

リピーターになる。

 

というサイクルを最初は小さいだろうけども続けていくことが大切だ。

 

ブログをサボりまくってた僕がいうのもなんやけど(笑)

 

桂三四郎はこれからも

 

「メディア」

 

「ネット」

 

「ライブ」

 

の三角形を大きくしていきたいと思います。

 

芸人は、やはり自己顕示欲の塊みたいなもので

 

誰かに褒められる、好きになってもらうというために芸人になったといっても過言ではない

 

その芸人が一番悲しいのが

 

存在を認められないこと

 

そして

 

忘れられること

 

だ。

 

訃報が流れるまでその存在が忘れられる。

 

亡くなった時に、自分のことを誰も語らない。

 

芸人にとってこんなに辛い事はない。

 

だから芸人はどんなことでもいいから発信し続けなければならない。

 

常に自分の存在をアピールしなければいけない。

 

芸人にとっての本当の死はその存在を忘れられた時だから。。

 

49歳の若さで急逝された桂三弥兄さんのご冥福をお祈りします。

 

そして、僕は兄さんのことをずっと忘れません。