桂三四郎ブログ 落語家 桂三四郎の挑戦

落語家 桂三四郎が何かしら発信するブログ。

[落語]そう!!僕たちには真打ち制度がない!!

 

 

前回のブログで真打ち制度について書いた。

 

要約すると

 

「真打ち披露」「ボヘミアン・ラプソディ」だということだ

 

いや、ちゃうちゃう

 

前回のブログを読んでいただかないと意味がわからないのだけど

 

とにかく、真打ち制度というのは落語家にとってのビジネスモデルであり

 

最大の顧客サービスなのだということ

 

 

 

 

上方落語の「真打ち制度」 

 

上方落語にはこの「真打ち制度」はない

 

昭和初期くらいまではあったそうなのですが、吉本興業の台頭で漫才が寄席の主流になり

 

落語家の数が減っていった上に戦争が起こり上方落語は壊滅寸前

 

「真打ち」どころか上方落語自体がなくなる危機を迎えて「真打ち披露」どころじゃない!!

 

ということでなくなってしまった

 

大阪に落語の寄席が一軒もなくなってしまったことも原因の一つだろう

 

この真打ち制度がないとどういう弊害が起こるかというと

 

まず、「真打ち」という明確な肩書きがないためどこからが師匠なのか

 

という基準がわからない

 

「そんなん、師匠って呼ばれるかどうかなんてどうでもいいやん、結局は芸やん。素敵な芸見せたらええんちゃう?」

 

という声もあるだろうが

 

 

黙れ!!!ど素人が!!!!

 

 

 

いや、ぶっちゃけ師匠なんて呼ばれなくてもいいんだけど

 

落語家というのは自分が商品である。

 

その商品価値を高めていく必要があるのだ。

 

落語家としての商品価値をあげるには?

 

真打ち制度がない上方落語の世界で商品価値を高めるには

 

何かしらの賞を取る

 

大きな名前を襲名する

 

テレビに出る

 

この3つだ

 

賞を受賞する

 

まず、賞については色々言いたいこともあるのだが

 

大阪の落語界の賞に関していえば、プロフィールの肩書きにかけてはくがつく

 

以外そんなに大きな効果はない

 

それは、大阪の賞というものにあまり信用というものがないからだ

 

 

あんまりいうと負け惜しみみたいになってしまうからあえて言わないけど(桂三四郎は賞を取ったことがありません、決勝まで行ってめっちゃウケても審査員票が入らないことでお馴染みです(笑))

 

笑われへんわ!!!

 

とろサーモンの久保田さんも

 

「いや、三四郎そこまでいうたらあかんやろ」

 

って止めるくらい審査員の悪口言うてるわ!!!

 

あかんあかん。

 

ほんまに言ったらシャレにならないことを言ってしまいそうなので今へんで止めておこう

 

 

大きな名前を襲名する

 

これは真打ち披露に限りなく近いので商品価値を高めるには絶好の機会だ

 

歴史ある名前を継ぐ

 

例えば

 

「桂春団治」

 

とか、誰もが一度は耳にしたことがあるような名前を継ぐと商品価値というのはものすごく上がる

 

聞いたことなくても

 

何代目〇〇みたいな由緒正しき名前を継ぐことで自分のいるステージが一段上がるのだ

 

海老蔵さんが團十郎になるようなもんやね。

 

ただ、そんな由緒正しき名前は大阪には残ってない

 

あったとしても一門や色々なしがらみがあって誰でも継ぎたいからと言って継げるものではないのです。

 

やはり一番手っ取り早いのは

 

テレビに出ること

 

テレビに出れば、みんなが自分の顔を知ってくれる

 

これ以上に商品価値が上がるものはない

 

全国区のテレビでレギュラーになれば

 

単価は上がって仕事は増え、周りの扱いは変わり、女性にもモテモテだ

 

親は喜び庭駆け回り

 

猫はこたつで丸くなる

 

そうだ!!

 

テレビに出よう!!

 

 

アホか!!!!!

 

 

テレビに出ることの難しさ

 

 

テレビに出たい芸能関係者どんだけおると思ってるねん!!!!

 

しかも出てる芸能関係者は自分の座っている椅子を絶対に守ろうとするねんで!!!

 

うちの師匠は毎週のように椅子から転げ落ちてらっしゃるけど

 

「新婚さんいらっしゃい」の司会者の椅子は絶対に明け渡さへんで!!!

 

山瀬さんも同じやで!!!!!

 

テレビの世界は

 

血で血を洗うような

 

スーパーウルトラレッドオーシャンなのだよ

 

ぼくも年間ちょこちょこ全国ネットのテレビに出させていただくことがあるけど

 

出たことがあるは出てないのと同じ

 

出続けていないと出ていることにはならないのだ。

 

 

比較的ハードルの低い大阪の放送局が製作している番組には息の長いベテランがどっしりと構えておられて

 

賞を取った漫才師ですらなかなかでしろがないくらい

 

そんな中、若手の落語家なんか出る隙間なんか全くないのだ。

 

大阪の落語家でテレビにしょっちゅう出てるのはうちの師匠や鶴瓶師匠を除くと

 

月亭八方師匠、月亭八光兄さん、桂小枝師匠、桂吉弥兄さん、桂南光師匠、桂ざこば師匠

 

くらいだろう

 

この中でテレビに一番後に出てきたのは桂吉弥兄さんで昔から落語の腕はピカイチだったが出だしたきっかけは三谷幸喜さんの「新選組!」そして朝ドラ「ちりとてちん」

 

吉弥兄さんですら落語の腕でテレビに出たわけではないのだ

 

逆にいうと

 

「落語をめちゃくちゃ頑張ってもテレビには出られない」

 

ということ

 

漫才師は賞レースの先にテレビがあり、売れるという道がある

 

「でもR−1グランプリあるやん。そこで一番なったらええやん」

 

R–1グランプリ

 

確かにそれは一番の近道だろう

 

ただはっきりいうが落語家では不可能だ

 

落語は簡単な芸ではない。

 

毎日少しづつ薄皮を積み重ねるかのようにしか成長しない

 

お客様を集められて、満足させる芸を身につけるのに10年はかかる

 

まじでかかる

 

それをしながら片手間にR–1グランプリで優勝なんて

 

絶対に無理!!

 

ピン芸人がこのR–1グランプリのためにどれだけの人生を注いでいるか

 

それにR–1グランプリは落語家の住む場所ではない

 

ピン芸人の住む場所だ

 

「R–1グランプリ頑張れ!!」

 

この言葉を聞くたびに

 

大阪の落語家は一体いつまで漫才師、ピン芸人の住処に間借りせなあかんねん。

 

といつも思ってる。

 

上方落語家としての生き方 

 

大阪は落語だけではスポットライトが当たらないことが明白だからだ

 

東京の落語家は二つ目になると来るべき真打ちに向けて頑張る方向性を見極め、他の落語家との差別化をはかり、応援してくださるご贔屓さまを見つけ「真打ち昇進」という次の目標に向かって努力を始める

 

一度は絶対にスポットライトが当たることが決まっているからだ

 

大阪の落語家は残念ながらこの「真打ち昇進」がない

 

落語を一生懸命やってもテレビに出れることはない

 

賞レースをとったとしても劇的に仕事が増えることはない(全国区の賞レース取ったら増える事は増えるよ!!)

 

大きな名前を告げるのはごく一部

 

何を頑張ったらいいのかわからずに悩んでる若手はめちゃくちゃ多いと思う

 

目標もなく頑張り続けるのって本当にしんどい

 

それでもみんな何かを見つけ出そうと必死になっている

 

最後に

 

僕たちには真打ち制度がない

 

だから自分で真打ち披露のような節目を作り

 

自分を追い込んで

 

さらなる高みを目指さないといけないのだ。

 

4月6日の

 

「桂三四郎十五周年記念独演会」

 

は僕に取っての真打ち披露だ。

 

そう、つまりこの記事は

 

「真打ち制度」を利用した

 

壮大な告知なのだ!!!

 

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