桂三四郎ブログ 落語家 桂三四郎の挑戦

落語家 桂三四郎が何かしら発信するブログ。

イチロー選手のバッティングを真似するようなもの〜喋りがうまくなるブログ

二本続けてイチロー選手がタイトルだ

 

別にトレンドを意識したわけではない

 

意識していたらもっと早くに書いてるし

今だったら横綱白鵬の全勝優勝について書く

それもちょっとズレてるか。。

 

吉田沙保里、今はネイルに夢中

 

について書くのがいまのトレンドかな?

 

いや、どうでもいいわ!!

 

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桂三四郎の喋りがうまくなるブログ

 

なぜイチロー選手をタイトルに出したかというと

 

イチロー選手は言わずと知れた

天才野球選手だ。

 

天才というものはいつの時代も

どのジャンルにも存在する。

そしてみんながそのスタイルに憧れる

 

だが決して真似できないから天才なのである。

 

自分が天才ではないと自覚しよう

まず自分が天才ではないということを自覚しよう

書いている僕も天才ではない。

悲しいけども天才じゃなかった。

 

世の中のほとんどの人はこんなこと考えない

 

意外と自分が天才ではないという自覚がない

 

なぜ自覚がないか

 

それは周りに天才がいないからだ

 

天才ってどんな人

 

テレビで見るような天才は

どこか自分たちと違う世界に住んでいて

違う生き物のような気がしている

 

でも実際は僕らと同じ世界に生きていて

同じような学校教育を受け

同じようにご飯を食べて

テレビ見て笑ったり

恋愛もするし失恋もしているのだ

 

天才も同じ人間だ

 

僕の周りにいた天才

 

僕が自分が天才じゃないと自覚したのは

入門してすぐ

 

自分が入門した師匠桂三枝が天才だった

テレビで見てたスターと一緒の生活を始めて

すぐ気がついた

 

お笑いの世界に入ってくる人間なんてほとんどが

天狗になって入ってくる。

だいたいの人間が全く才能のない勘違いだ

劇場に立つ事もなくやめていく

下手したら一度も笑いを取らずにやめていく

 

僕もそうだった。

いろんなお笑い番組を見て研究し

笑いに関してはかなり自信があった

入門前にいろんな

落語や漫才、コントを研究しまくっていたから

すぐ気がついたのだ

「あ、この人天才だ」ということに

 

そして自分が天才ではないことに気づいたことと

もう一つショックだったのは

天才も同じ人間だったということだ

同じようにご飯を食べ

同じように映画を見て

家族もいれば

家もある。

 

当たり前やけど

それにびっくりした。

 

天才とは何が違うのか

 

これは答えが簡単です。

 

天才と凡人の何が違うのか

 

それは

 

「天才とは凡人は同じことをしてるのに

 出る結果が全然違う人」

 

だ。

 

イチロー選手もうちの師匠も天才だ

 

めちゃくちゃ努力をするという共通項がある

 

めちゃくちゃ努力してる人は世の中にいる。

 

でも同じ努力をしたら同じ結果が出るか?

 

出ないからすごいのだ。

 

じゃあイチロー選手があのルーティーンをしなければ

あの結果は出なかったか?

 

多分出たと思う。

 

多少、選手生命が短くなったりはしたかもしれないが

 

近い結果は出たはずだ。

 

うちの師匠もめちゃくちゃ努力家だ

 

でも、もしそこそこの努力だったとしても

 

近い結果は出たはずだ。

 

ただ天才はそこそこの結果では

満足しないという性格なのだろうけど

 

天才の真似をしない

 

だから僕はある時から

師匠の真似をできるだけしない芸風に変えた

基本は師匠の真似を育ってきているので

根本は似ているが

できるだけ師匠の口調と違う喋り方

違う作風

違う笑いの作り方

を意識している。

 

劣化版コピーにならないように気をつけている。

だからどんな世界でもみんな天才に憧れるけど

 

天才の真似だけはするな

 

ってこと

 

イチローのバッティングを真似しても

野球が上手くならないのと同じです。

 

パリコレに出展されている

奇抜なファッションを

町で着たら笑われるのと一緒です。

 

メロンに生ハムをのせるより

別々で食べたほうが美味しいのと一緒です。

 

どんどんずれてきた気がしますが。

 

とにかく、天才の真似をせず

 

自分の教科書を作って自分にあった

オリジナルの訓練をしましょうってこと