桂三四郎ブログ 落語家 桂三四郎の挑戦

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[落語]「真打ち制度」と「ボヘミアン・ラプソディ」

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「真打ち」

 

落語家や講釈師の身分の一つで

 

寄席のトリを取ることができ

 

自分の後継者である弟子を取ることができる。

 

師匠という呼びかたも、真打ちに対しての呼称である。

 

 

文字で説明するとたったの4行で済むのだけど

 

その行間にはとてつもないドラマが隠されている。

 

 

 

 

東京の落語家の階級について

 

東京の落語家は師匠に弟子入りするとまずは

 

「見習い」

 

として師匠の元で基本的な礼儀作法、この世界の最低限のルールを学び

 

師匠の許しを得て楽屋入りし

 

「前座」

 

として寄席で、楽屋仕事全般や鳴り物一通り、礼儀や気働き等、この世界のルールや生き方を学ぶ

 

一門や協会によっても違うがだいたい4年で

 

「二つ目」

 

になる

 

二つ目と前座は天と地ほど立場が違って

 

出番が開口一番ではなく二つ目以降の深い出番になる

 

舞台で羽織を着ることが許され

 

楽屋仕事全般をしなくてもよくなり、自分の自由にスケジュールを組むことができるようになる。

 

そこから約10年で

 

「真打ち」

 

となるのが一般的だが

 

真打ちになるには「真打ち披露」というものをしなければいけなくて

 

これがめちゃくちゃに大変らしいのだ。

 

らしいというのは僕が経験していないから

 

「らしい」にしたのだけど。。。

 

真打ちになるためにやらなければならないこと

 

まず、真打ちになるということで

 

扇子と手拭いを新調し

 

お世話になった先輩、師匠方へのご挨拶まわり

 

もちらんご贔屓のお客様へのご挨拶まわり

 

そこから、自分の

 

「真打ち披露パーティー」

 

のプロデュース

 

が始まる。

 

 

どこでやって、誰を呼んで、どこに座ってもらって、誰に挨拶してもらって、料理はどんなものを出して、お土産は何にするか

 

書いてるだけで頭おかしなるわ!!!!!

 

そこから、全ての寄席で10日間

 

約一ヶ月半ほどの披露興行のプロデュースだ。

 

そこでは新真打ちがトリを取る。

 

昼夜20人近い落語家が出演する最後に出演するトリは

 

出演者全員と違うネタ

 

つかない(簡単に言うと似ていない)ネタを披露しないといけない

 

真打ち披露興行では

 

口上というのがあって

 

 

 

お世話になった師匠方に並んでもらって真打ちのお祝い口上を述べるというイベントがある

 

そこに誰に座ってもらって

 

誰に司会をしてもらい。

 

毎日、楽屋に差し入れるお弁当はどうするか

 

打ち上げはどこでやるのか

 

そうそう、後ろ幕も作らないと。。。

 

いや、真打ちなるまでになんぼほど金かかるねん!!!!!!

 

もしかしたらもっとたくさん大変なことがあるかもしれないけど

 

僕が思いつく限りでこのくらい述べられる

 

精神的にも

 

経済的にも

 

信じられないほどの負担だ!!

 

「真打ち」になるメリット・デメリット

 

「真打ち」になる

 

と一口に言ってもこれだけの大変なことを乗り越えなければいけないのだ。

 

ただ、大変だからと言ってデメリットしかないのかと言うとそうではなく

 

経済的な大変さは

 

確かに大変だけど

 

出しっ放しというわけではなく

 

ご贔屓のお客様や、先輩方からのご祝儀という形での収入もあるし

 

今までご贔屓くださったお客様が各所で真打ち披露の会を主催してくださるかもしれないし

 

真打ちになったということで仕事自体の単価も上がる

 

長期的な視点で見れば全然プラスだろう

 

精神的な負担に関しては

 

確かに挨拶回り、パーティーのプロデュース、その他諸々の雑務に時間を取られ

 

気遣いでめちゃくちゃ大変だ

 

その上、各寄席で10日間の披露興行をちゃんと満員にしなければいけないというプレッシャー

 

一世一代の舞台で最高の落語を見せなければいけない緊張感

 

恥をかけないという凄まじい重圧を乗り越えなければいけない

 

これは一見するとマイナスにしか見えないが

 

全てプラスなのである

 

人間は過酷な環境に身をおいたほうが成長する。

 

この真打ち披露という落語家人生最大のイベントに立ち向かい、のりこえることで

 

落語家として確実にレベルアップするのだ

 

間違いなく

 

先輩師匠方が、自分のために神輿を担いでくださり

 

その日だけは嫌が応にも自分自身にスポットライトが当たる

 

大成功した落語家はそのことを大きな自信に

 

心残りがあった落語家はそのことをバネにこれからの推進力に

 

「真打ち」になると成長せざるをえないのだ

 

「真打ち制度」をお客様の目線で見てみる

 

この「真打ち制度」をお客様の視点で見てみると

 

落語会に行くといろんな前座が出る

 

そのなかで

 

こいつなかなかいい落語するな

 

とか

 

打ち上げ等で一緒になった時に

 

「よく気がきくな」

 

とか

 

「なかなか可愛げのあるやつだな」

 

と思うことがちょこちょこある。

 

その前座が二つ目に昇進した時に今までの前座時代と比べて成長した姿をみて

 

いつもの落語会をさらに楽しむことができる。

 

そしてその二つ目がどんどん成長していき

 

ついに「真打ち昇進」となったときは

 

今までの落語家としての成長を見てきているわけだから

 

楽しむどころか「真打ち」になった瞬間を目撃した時には感動すら覚えるだろう

 

真打ちになってからも

 

いつかその落語家に弟子が入門し

 

前座となり

 

二つ目になり

 

真打ちになった時には、前座の頃から見ていた落語家が今度は師匠として新真打ちの口上に座ることになる

 

こんなところ見てしまったら感動通り越して失禁もんですよ!!!

 

「真打ち制度」が持つ意味

 

この一連の流れを見てわかるように

 

落語家にとっては自身の商品価値を高める一大イベントで

 

お客様にとっては、落語をより一層楽しめるように

 

そして末長く落語を愛してもらうための究極のサービスなのだ。

 

素晴らしい落語家の素晴らしい落語を見れば楽しいのは当たり前だ

 

しかしそこにバックボーンのドラマがあればより一層楽しめる。

 

スポーツでも、メダルの色だけに人は感動するのではなく

 

そこにたどり着くまでの過程

 

ドラマに感動するのだ

 

バックボーンを知った上でその人の芸に触れるのとそうでないのとでは受け止め方が全然違う

 

「真打ち制度」は「ボヘミアン・ラプソディ」

 

それを今日

 

映画「ボヘミアン・ラプソディ」

 

www.foxmovies-jp.com

 

を観て思った。

 

Queenのリードボーカル

 

フレディ・マーキュリーの自伝的映画なのだけど

 

フレディー・マーキュリーがQueenを結成して

 

成功したのち色々あって、最後にQueenのライブシーンがあるのだけど

 

Queenの曲っていろんなところできく機会があったし

 

「まあ有名ないい曲やな」

 

くらいの印象だったけど

 

Queenの結成から、フレディーのバックボーンのドラマを見た後に聴くと

 

こんなに心を震わされるのか!!!!!

 

もう興奮しすぎて

 

脇汗びしょびしょざんすよ!!!!!!!

 

しかも、そのライブシーンのカメラの取り方がステージから客席に向けるカットが多いんだけど

 

それ見てると

 

自分がQueenのメンバーになったような気がするのよ!!!!

 

 

うぃ〜あ〜だちゃんぴょ〜んまいふれ〜えん♬

 

 

 

 

 

 

うぃ〜!!!!うぃ〜!!!!

 

うぃ〜!!!!うぃ〜!!!!

 

 

6級!!!!

 

 

いや「そろばん検定」やないねんから!!!!!

 

 

 

とにかく、落語家の生い立ちから真打ち昇進という晴れ姿までバックボーンを知ることで

 

 

落語をさらに楽しめる制度が

 

 

「ボヘミアン・ラプソディ」

 

 

なのだ。

 

 

いや逆!!!!!