表裏とは一体である2020年にしたい
遅くなりましたが
明けましておめでとうございます。
2020年もよろしくお願いいたします。
正月は実家に帰り久しぶりに親戚と集まって過ごしました。
家族が揃って新しい年を迎えられるというのは本当に喜ばしいことですし、無邪気にはしゃぐ親戚の子供たちを見て大人たちが微笑んでいるのを見てすごく幸せな気持ちでした。
すごく幸せな気持ちだったのですが
僕の本来持っている天邪鬼な部分というか
幸せな気持ちになっているときにもう一人の僕が逆のことを考えたりするのです。
「コレ、ナニガオモロイネン・・・。」
え?誰か何か言ったかな?と疑ってしまったが次は確実に心の底から声が聞こえてきた。
「タイクツヤワ・・・。」
なに!?
家族に囲まれて、こんなに幸せなお正月を迎えているのに僕は心の中で退屈だと考えているのか!?
そんなバカな!!!
なんでこんな幸せな時に真逆のことを考えてしまうんだ!!
僕はそんな嫌な人間じゃない!!
この時間が一生続けばいいのにって思ってる!!!
「ジョシトアソビタイワ・・・。」
やめろ!!!
無邪気にはしゃぐ可愛い子供達の前でゲスいこと考えるな!!!
「オトシダマデアイセキヤイキタイワ」
アホか!!
37歳でお年玉なんかもらえへんし、もらったとしても相席屋で使うな!!
「シアワセハタイクツヤ」
幸せを感じながらも心の底では退屈を感じてしまっていたのかな?
でも僕はこういう天邪鬼的な気持ちが働くことがある
例えば
僕がめちゃくちゃ尊敬して崇拝している憧れの先輩のご飯に連れて言ってもらってるとき
本当にその優しい先輩は、僕の話も聞いてくれ、よく笑ってくださりすごく楽しい時間を過ごしているときにふと
「コノジョッキデセンパイヲナグッタラドウナルカナ」
と考えてしまうときが・・・。
絶対やりませんよ!!!
絶対にやりません!!!
むしろ大嫌いな奴と飲んでる時にこそ殴りたいのを抑えてます(笑)!!
多分、皆さんも経験があることだと思うけど・・・。
え?ない?そんなことないでしょ?
ありますよ!!
あるよ!!
二面性というのかなんというのかわからないけど
自分の今の心境と真逆のことを思ってしまうところがある。
とにかく芸人にとって「幸せ」というのはあまり良くないのか?
「幸せ」であれば「笑」は起こらないが
「不幸」であれば「笑」は起こるのか
でも「笑」が起こるのであれば芸人としては「幸せ」なのではないのか?
「不幸」こそが芸人の「幸せ」なのか?
いやそんなことはないやろ
「幸せ」でもおもろい人はいっぱいおる。。
なんかいろんなことを考えさせられたお正月だったが
一つ気づいたことがある。
「幸」「不幸」というほどではないが表裏一体になっていることがあることに
僕は桂三四郎として皆様に落語を表現して生きている。
落語を聞いて笑ってもらうためにはやはり「稽古」をしなければいけないし、「新しいネタ」を作り続けなければいけない。
正直、僕は稽古があまり好きではない。
どちらかといえば嫌いな方だ。
やらなくていいならやりたくない・・。
でもやらないとお客様に失礼だし、やらなかったら満足いく落語ができないし滑るのは絶対嫌だから仕方なくやる。
「新しいネタ」は思いついて作っているときは楽しいけど
覚える作業はめちゃくちゃ苦しい
一番嫌いな作業だ・・・。
お客様に喜んでもらうためには苦しまなければいけない。
つまり、僕が「苦しみ」を味わえば味わうほど
お客様は「喜ぶ」ということ
「苦しい」稽古やネタ作りのおかげでお客様が「喜ぶ」
お客様が「喜ぶ」と僕は「幸せ」なので
これを続けるといつか「苦しい」ことが「幸せ」に変わるのかもしれない・・。
だから僕は2020年とにかく「苦しい」ことをたくさん自分に与えようと決めました。
たくさん苦しんでこの「苦しみ」を「幸せ」に変えられるように・・・。
「幸せ」を求めて「苦しみ」を貪る
そんな一年にしたいです。
では、書くのが苦しくなってきたので寝ます。
今年も応援よろしくお願いいたします。
からの告知!!!!!!!
「桂三四郎まくらだけの独演会」
2020年2月8日(土)
19時開演
場所 スタジオフォー(西巣鴨駅 庚申塚駅 徒歩5分)
予約 2000円
問 ↓